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9月15日関ケ原古戦場に行ってきました。Part 3(全3) 島津義弘陣跡~徳川家康最後陣地 [遺跡]

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(続き)

笹尾山の次は島津義弘陣跡に向かいました。

関ケ原の戦いでは、島津家は西軍として参加しました。
西軍が敗色濃厚になると、何を思ったか島津義弘は後退するのではなく
逆に敵中に突撃していきました。有名な「島津の退き口」です。

これは、敗色濃厚になり敗れて生き恥をさらすぐらいなら
武士らしくここで散ろうという考えで突撃した結果、運よく
生き残ったというわけではなく、味方が総崩れで敵が前のめりに
なっているところに敢えて突撃することによって、活路を見出そう
という深い考えのもと行われたようです。

「島津の退き口」については、負けそうになってから、正面突破して
退却していった、ということを知っていた程度で、詳しくは知らなかったのですが
ここに来る直前にNHKの「歴史秘話ヒストリア」でもろに取り上げられていたので
今回寄ってみることにしました。今は何があるってわけでもないんですが。

標識です。
DSC_0356.jpg


到着です。
DSC_0361.jpg


記念碑です。
DSC_0363.jpgDSC_0381.jpg


有名な「島津の退き口」について解説しています。
DSC_0376.jpgDSC_0367.jpgDSC_0372.jpg


若い時ゲームで「信長の野望」やりましたが、島津家でよくやってました。
九州のはじっこで、背後を気にする必要がないうえ、能力の高い武将もけっこういたので
なかなかやりやすかったからです。

最後は、徳川家康最後陣地へ行きました。
都合上最後に立ち寄りましたが、関ヶ原町民俗資料館のすぐ前です。
戦いの直後、ここで首実検、慰霊などを行ったそうです。
DSC_0388.jpgDSC_0393.jpgDSC_0397.jpgDSC_0402.jpgDSC_0403.jpg


歴史のIFはきりがないわけですが、もしも豊臣秀頼が出陣していたら
結果は変わったのではないか、と関ケ原の戦いを考えるときいつも思ってしまいます。

関ケ原の戦いが行われた9月15日というだけあって、駅に戻ったら
観光目的と思われる大勢の人がいました。あいにくの雨でしたが。


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